しとしとと降り続く雨はどこか気分を憂鬱なものへと変えてしまう。窓から眺める空はどんよりとした灰色で、その姿に生気を見いだすことが出来ない。
 脳裏に浮かぶのはフラッシュバックした光景。血に塗れたものがこちらを見て、にやりと邪険な笑みを浮かべるその姿。
 無意識のうちに発していた拒絶の言葉。それが彼をどれだけ苦しめているかがわかるから尚更忍びない。
 鬱々とした気分で空から目をそらしてもそこにあるのはやけに明るく感じる蛍光灯の光だけだ。
 ――逃げられはしない……
 不意に脳裏をよぎる言葉に寒くもないのにぶるりと体が引き締まり、震えが止まらなくなる。
 ――いずれ、お前は……
 低く、低く、響き渡る声。言葉の奥にある狂気じみたものを思いだし、体が震え出す。
 両腕できつく自らの体を抱きしめ、荒い息を吐きながら、必死に体の奥に刻まれた恐怖の跡から目を逸らそうとする。
 それでも一度溢れたものは元に戻すことは出来ない。
 ――逃げられはしない……
 リフレインする言葉に嘔吐感がこみ上げ、どうしようもなく頭が痛い。
「――――っ!」
 声にならない悲鳴を上げ、白神の意識は徐々にどこかへと攫われていくのだった。





第10話 梅雨の雨祭り





 梅雨の合間、僅かな晴れの日は、いつもより気分も晴れやかで、心なしか窓から一望できる商店街も活気づいているような気がする。
 そんな貴重な一日にも関わらず、龍の気分はあまりすぐれなかった。
 ――いやぁ、来ないで! こっちに来ないで!
 拒絶の言葉が脳裏を駆け抜ける。白神が放った言葉が、龍の心には未だ引っかかっている。例えそれが白神の本心でないとしてもだ。
 それは白神も同じなのだろう。2人の関係はあの日から少しギクシャクしたものだった。表面上は普通に接しているが、どこか余所余所しい。それが何故かたまらなく辛かった。
「はぁ…………」
 ため息が無意識のうちに出てしまう。晴れた天気とは対照的だなと自嘲するしかない。
「あ、龍〜」
 ふと幼げな声が耳に入ってきたので、龍は顔を横に向け、声の主である創に小さく目をやる。
「どうした」
「出かけてくるよ〜」
 ぽんぽんと背負ったリュックサックに手をやり、創は無邪気な笑みを浮かべている。そんな微笑ましい光景に少し心が落ち着いてくる。
 晴れになったと同時に歓喜の奇声を発しながらツーリングに出かけていった赤羽もいる。どうやら悩みはよろず屋の中では似合わないらしい。
「創」
「んー、どうしたの?」
 龍が頷いたのを見てその場を去ろうとした創に声をかけ、龍はゆっくりと立ち上がる。不思議そうに龍を見つめていたそうだが、すぐに笑みを浮かべ直し、小さく片目を閉じる。
「いや、何でもない」
 龍は少し含みを持たせた笑い顔で呟いた。創はそれを特に気にすることもなく、じゃあね〜と元気よく言い放つとすぐにその場を去ってしまった。
「相変わらず忙しい奴だ」
 天気から少し遅れてようやく晴れてきた表情のまま、龍は部屋を出て、階段を下りる。白神が作業をしている1階・よろず屋の店内に向かうと案の定、そこに件の人物はいた。
 やはりどこか愁いを帯びた黒水晶の瞳は作業に集中できていないのか上の空のようにも見える。
 創が先程出かけてしまって店内には龍と白神以外誰もいない。赤羽は先述の通りツーリング、黒沢はびしっと決めたスーツ姿でどこかに出かけてしまった。
「あ、龍君……」
 敏感に龍の気配を感じ取ったのだろう。少し戸惑ったような目で白神が龍を見つめている。
「理恵。今日くらいは休め」
 無理はするなよと小さく呟きながら、龍は白神をじっと見据える。ばつが悪そうに視線を逸らす白神に龍は心の中で嘆息する。
「たまには2人で出かけないか?」
「えっ…………」
 龍の唐突な発言に少し戸惑った様子の白神。あまり乗り気ではないようだが、龍は敢えて気にせず、続ける。
「今日は、祭りだろ? 息抜きにはちょうど良い」
「でも……」
 やはりあのことを引きずっているのだろう。白神の表情は冴えないままだ。だが少ししてからゆっくりと首を縦に振り、小さく頷く。
「それじゃあ、30分後に商店街の入り口に集合で良いな?」
「うん…………」
 龍の言葉にただ小さな声で頷き、白神は顔を伏せながらその場から立ち去った。後ろ姿をじっと眺めながら龍は少し複雑な表情を浮かべるのだった。





 商店街の入り口は祭りと言うこともあっていつもより人が多く、ごった返していた。商店街の近くにある神社で行われる雨祭りに商店街が協力して、かなりの規模を誇っている。
 土曜日の昼前にも関わらず既に多くの人が商店街のアーケードを通り抜け、祭りの始まりを謳歌しているように感じる。
 龍はじっと辺りを観察しながら、白神が来るのを待つ。時間的にもそろそろかなと考えていると、白神の後ろ姿を見つけ、壁に預けていた体を起こし、ゆっくりと近づいていく。
「龍君」
 龍の気配を察したのだろう。ゆっくりと白神が振り返り、ぎこちない笑みを浮かべている。その様子に少し心が痛んだが、龍は何も言わず、ただ一言呟いた。
「行こうか」
 白神は静かに頷き、ゆっくりと歩き出す。商店街のアーケードをくぐると、いつもの見慣れた風景がそこにはある。だが、人が多いためかいつもの商店街の落ち着いた雰囲気とは一味違うようだ。
「凄い…………」
 人の多さに感嘆の声を上げるのは白神だ。人の流れに呑まれないように龍の後を何とかついてきている。
「去年より人が多いな」
「そうだね」
 龍の呟きに白神は小さく頷き返す。去年は雨だったかなと思い出しながら、少し思い出に浸ってみる。
「今年はライブないんだな」
「確かにそうだよね」
 龍は少し思い出し笑いを顔に浮かべながら、一角に作られた大きな特設ステージに目をやる。昨年、ステージに上がってライブをやったのが懐かしい。
「楽しかったね」
 ボーカルを務めた白神がくすりと小さく笑みを浮かべた。あの時のことは今でも強く心に残っている。透明感のある歌声で観客を魅了した白神、ぶっちゃけ本番のくせにキーボードを完璧に演奏した創、ドラムをバカみたいに熱く叩きまくっていた赤羽、あきれ顔でベースとギターを担当する龍と黒沢。1人の作曲家を立ち直らせるために行ったライブはかなり好評だったようだ。
「まあな」
 控えめでそれでいてまぶしい笑みを浮かべた白神を一瞥して龍はゆっくりと息を吐いた。
「良かったよ。元気が少し出たみたいで」
 龍の言葉にはっと目を見開く白神。みるみるうちにしぼんでいく笑顔を名残惜しく思いながらも続ける。
「ごめんね」
 その言葉はしっとりと濡れたか細い唇から不意に漏れた。
「私があんなこと言ったから。私の言うとおりにしただけなのに――」
「理恵」
 龍は右手を突き出し白神の言葉を遮り、黙って首を横に振る。
「俺は何も気にしていない。わかっているから――」
 さっと白神の手を掴み、引っ張るように歩き出す。それ以上は言わなくて良い、気にするなと黙って示しながら、行くぞと優しい目を浮かべ、龍は白神を見つめた。
「うん」
 少し複雑そうな表情を浮かべた後、白神は先程までとは違う普段通りの明るさを取り戻したような表情で深く頷いた。





 ただ2人で商店街をゆったりとあてもなく歩いて行く。お祭りと言うことで屋台で店が出ているのだが、そのラインナップが中々面白い。お祭りと言えばオーソドックスなのはたこ焼きや焼きそば、綿飴と言ったものを想像するだろう。神社の前にはその手のものが置いてあるらしいが、商店街はあくまでも商店街。普段店をやっている人が屋台を今日だけはしているのだ。例えば、お肉屋さんは近隣の国産牛のサイコロステーキを安めに打っていたり、魚屋さんは新鮮な魚を用いて寿司を作ったりと、店の特徴にあわせた屋台を展開している。
「改めてみるとやっぱり大きいよねー」
「そうだな。普段はあんまり表通りに来ないから尚更そう思うんだろうけどな」
 色々と漂ってくる香ばしい匂いに辺りをきょろきょろと見回し、目に入る鮮やかで楽しい光景に自然と笑みを浮かべる。
「ちょっと疲れたか?」
「ううん、そんなことないよ」
 白神に声をかけるが、やんわりと否定される。だが、気がつけば1時間程が過ぎている。やはり少しどこかで体を落ち着けても良いかもしれない。そんなことを思い、龍はある場所へと向かった。
 メインストリートを離れると人の数は一気に減り、先程までの息苦しさからは開放される。
 龍と白神が向かったのは、見慣れたこぢんまりとした喫茶店――RESTだった。落ち着いた雰囲気のする良いお店、のはずが何やら店頭から騒がしい雰囲気がぷんぷんと漂っている。
 それも店の中ではなくて外。恐らくは祭りにあわせて人が増えることを予想したのだろう、店の外にはテーブルとイスが置かれている。
 問題はそれではない。明らかにこの店の雰囲気に合っていない派手な衣装に身を包んだ少女が2人。しかも龍が良く見知っている顔だ。
「おかえりなさいませ、ご主人様、お嬢様〜」
 めざとく少女のうちの1人がいやに間延びした声と満面の笑みで龍達に声をかけてくる。びくりと白神の肩が大きく震える。
「店を間違えたか」
 くるりと身を翻し、白神の手を掴んでその場を後にしようとする龍。歩き出そうとした龍の前に立ちはだかるのはやはり先程の少女――いや、少年だ。
「酷いよ〜。お店に入ってくれると思ったのにぃ〜」
「あのな。どうしてそんな格好をしているんだ、創」
 こめかみを押さえながら、メイド服と思しき派手な服を着た創を呆れた様に一瞥する。本当、女装すると見分けが付きにくい。
「ん〜、バイトだよ〜」
 相変わらず女としか思えない笑みを浮かべたままの創は、平然とバイトと言い切った。店の主である智子も恐らくは創のわがままに渋々了承したと言ったところだろう。容易に想像できる。
「それでその格好は?」
 今まで黙って状況を静観していた白神が、創の服装を見て訊ねる。
「これ、店の制服だよ〜」
 くるりと一回転すると同時にひらひらとした服のあちこちがふわりと浮き上がる。
「これって、あのメイド喫茶?」
「そうだよ〜」
 もう一度一回転。今度は先程よりも回転が大きい。そんな創の様子を見ていると龍は頭が痛くなってきた。
「まあいい。とりあえず中に案内してくれ」
「了解〜」
 創に案内されて店内へと足を踏み入れる。涼しげな鈴の音がして扉が閉まるとゆったりとした雰囲気がコーヒーの匂いと共に感じさせられる。
「あら、いらっしゃい」
 にこやかに龍と白神に顔を向けるのは店主の智子だ。
「普段、あんまり来ないのに。今日は久しぶりだね」
 智子はお盆に白い湯気を立てるコーヒーを載せると創に手渡し、お願いねと促す。創は笑みを浮かべると、お盆を片手に扉を開き、外にいる客にコーヒーを渡しに行く。
「そうですね」
 何にすると聞きに来た智子に龍はコーヒーを、白神は紅茶を注文する。少し待ってねと準備にかかった智子を小さく一瞥し、龍は静かに頷く。
「はい、お待たせ」
 龍の前に白い湯気がゆらゆらと上がるコーヒーが置かれる。小さくお辞儀をして龍はカップに口を付ける。
「それにしても珍しいね。もしかしてデート?」
 智子は洗い終わったカップを手に取り布巾で水気を拭いながら、龍と白神にいたずらっぽく笑みを浮かべる。
「ち、違いますよ」
 少し頬を赤らめて白神が慌てて否定する。そんな様子を智子は相変わらず笑みをたたえたまま、うんうんと頷く。
「そういえば創にあれをやらせているのは、祭りにあわせてですか?」
 微妙な雰囲気が流れ出したのを感じ取り、龍は少し戸惑いながらも冷静に話題を変えた。
「そうだよ。創君がやりたいって言うからね」
 優しげな眼差しのまま、智子はちょこまかと小動物のような仕草で動き回る創を眺める。
「ご迷惑をかけてすみません」
「良いのよ。気にしないで」
 かしこまって頭を下げる龍に、智子はそうほほえみかける。それでも龍の申し訳ないと気持ちは消えない。
「それに…………」
「どうしたんですか?」
「ん、いや、何でもないよ」
 少し寂しげな視線を創に――いや、創を通して向こう側にある何かに注いでいる智子の瞳を見ると白神はそれ以上何も言うことが出来なかった。





 小一時間程経っただろうか。ゆったりと流れていく時間を不意に終わらせるように龍は立ち上がり、ポケットから財布を取り出そうとする。
「ごちそうさまでした。これでお願いします」
「ううん、良いのよ。今日は私のおごりで良いから」
 智子はやんわりと龍が差し出したお札を受け取らず、そのまま有無を言わさず手を後ろで組んでしまう。
「……ありがとうございます」
 白神がぺこりと頭を下げると、龍も同じように一礼して喫茶店を後にする。扉付近ですれ違った創に、頑張れよと声をかけると龍は振り返ることなくメインストリートの方へと戻っていく。
「次はどこに行こうか」
「そうね……」
 龍の言葉に思案顔になる白神。神社の方まで行くか、それとももう少し商店街をうろつくか。結構祭りの規模が大きいので悩むところだ。
「あら、龍じゃないの。それに理恵ちゃんも」
 不意に2人にかけられる声。怪訝な表情を浮かべながらも龍は声のする方に振り返り、動きを止める。
「あ、姉貴……。それに竜昇も」
 少し驚いたように向き直ると龍は、姉と姉の腕にすがるように掴まる少年に一瞥をくれる。
「あ、麗さん。こんにちは」
 麗を実の姉のように慕っている白神は嬉しそうに頬を緩ませ、麗に近づこうとしてふと足を止めた。
「えっと…………」
 じっと白神を見上げているのは竜昇と呼ばれたまだ幼い、小学生低学年くらいの少年だ。
「ああ、私の弟の竜昇よ。ほら、お兄ちゃんの彼女さんにご挨拶しなさい」
「もう、麗さん!」
 竜昇の頭を撫でながら白神はぷくりと頬を膨らませ、抗議の表情を浮かべる。
「冗談よ、冗談」
 含み笑いだけは続かせながら麗は片手をひらひらさせる。
「……それで、姉貴はどうしてここにいるんだよ」
 こめかみに僅かに青筋を浮かばせながら、龍は呆れた様な目で麗を見つめる。
「今日は竜昇がお祭りに行きたいって言うから連れてきたのよ」
「なるほどな。そう言うことか」
 姉の手を離れ、寄ってきた竜昇の頭を優しく撫でながら龍は小さく頷く。
「兄ちゃん、綿飴買って。お姉ちゃんはケチだから買ってくれない」
「全くしょうがない奴だ」
 くいくいと服の裾を引っ張られ、近くにある綿飴を指さしねだる竜昇に呆れた様な目をしながらも龍は連れて行く。
「相変わらず弟と妹には甘いんだから」
 優しげな瞳で2人を見つめながら、麗は小さくぽつりと呟く。その声の奥にどこか寂しさがあるのを麗は聞き逃さなかった。
「羨ましいです、何だか」
 白神は綿飴に頬張り付く竜昇とそれを優しげに見守る龍の表情をじっと眺めていた。
「待たせたな、姉貴、理恵」
「良いのよ、別に」
 戻ってきた竜昇の手を握り、綿飴に夢中の竜昇に美味しいかと訊ねる。
「龍、理恵ちゃん」
「何だ?」
「何ですか?」
 2人に向き直った麗は、変わらぬ笑みを浮かべたまま、
「どうせだし、一緒に回らない? せっかくのお祭りだし」
 デートの邪魔になるのならもちろん断ってくれて良いけどねといたずらっぽく笑いながら訊ねてくる。
「龍君、どうする? 私は構わないけど」
「ああ、俺も別に断る理由がないしな」
 2人が顔を見合わせて同時に頷くと、麗は決まりねとばかりに竜昇を引き連れて歩き出す。
「どこへ行くんだ、姉貴」
「お昼過ぎぐらいだし、屋台にあるものを食べ歩きでもしよっか」
「あ、それ。良いですね」
 麗の提案に白神が嬉しそうに賛同する。龍も異存はなく、あちこちにある屋台を見て回ることにする。
「は〜い、安いで。関西仕込みのたこ焼きやで〜」
 マシンガンのように次々と放たれている関西弁とソースと鰹節と青のりの匂いが耳と鼻をくすぐる。
「たこ焼きか」
「あ、私が買ってくるから」
 竜昇を龍に押しつけ、麗はたこ焼きの屋台に向かう。特に人が待っているようすもなくすんなりと注文することが出来た。
「あ、青木さんやんか」
「音無君。どうしてここに?」
 遠目から見ても親しげに話す麗と屋台でたこ焼きを焼いている青年。どうやら麗の大学の同級生らしい。
「バイトや」
「ああ、なるほど」
 容器にたこ焼きを詰め込みながら青年――音無響一は人好きのする笑みを浮かべ、ビニール袋を手に取る。
「あ、いいよ。すぐ食べるし」
「じゃあ、これで渡すな。毎度おおきに」
 音無は麗にそのままたこ焼きの入った容器を渡すと、大きく一礼する。それじゃあねと麗が声をかけると、またなと小さく手を挙げ、次にキタお客の応対をはじめる。
「戻ったわよ」
「おかえり」
 麗からたこ焼きを受け取り、白神にそれを差し出す。
「遠慮なく食べてね」
 白神は麗からたこ焼きを受け取ると、龍にそれを差し出し、食べるように促す。二人して大きめのたこ焼きに舌鼓を打つ。たこ焼きの食欲をそそる匂いが、口の中に広がる柔らかな生地とこりっとしたたこの食感と共に絶妙なハーモニーを生み出している。
 たこ焼きを食べ終わると龍と白神は麗と竜昇に引っ張られ、あちこちに連れ回される。商店街で食べ歩き、神社の近くの屋台で当てものをしたりと遊んだり。
 日が少し傾き出す頃になると、疲れたのだろうか、竜昇は龍に背負われると静かに寝息を立て始めた。
「あらら、寝ちゃったんだ」
「まあ、あれだけはしゃいだらある意味当然ね……」
 麗は無邪気な寝顔を浮かべる竜昇の横顔を一瞥して、小さくため息をつく。何気に麗も疲れたのだろう。疲れの色こそ見せないが、どことなく元気がないのがわかるのは龍が姉弟だからだろう。変なところで似たところがある。
「姉貴、そろそろ竜昇を連れて帰った方が良くないか?」
「そうね。そうしましょうか」
 龍は白神が小さく頷くのを確認すると、背中の竜昇を起こさないようにゆっくり歩き出す。
「それじゃあ、行くか」
 比較的商店街から近くにある麗のアパートに竜昇を連れて行き、そのまま布団に寝かせる。
「今日はありがとう。後は2人で楽しんで来なさい」
 麗は張り詰めていたものが切れたように少し疲れの色を見せながらも気遣うようににやりと笑みを浮かべて声をかけてくる。呆れた様に龍は、全くと肩をすくめながら、徐々にではあるが黄昏れていく夕日を小さく一瞥するのだった。





 黄昏と深い藍色のコントラストが美しい。祭りも佳境を迎えているのだろう。名残惜しむように人の数も増え、クライマックスが近づいているのが目に見えてわかる。
「今日は本当、ありがとう……」
 ぼんやりと浮かぶ灯籠の明かりに白神の吹っ切れたような笑みが浮かぶ。それに釣られて龍も思わず笑みを返してしまう。
「……俺は何もしてない」
 どこかぶっきらぼうに否定する龍の顔が心なしか満足して赤いのは灯籠の火のせいではない。
「それでも、ありがとう」
「そんなことよりもう少し祭りを……」
 照れ隠しなのだろう、急に話題を変えた龍は露天を見回しながらぽつりと呟いた。白神はどこか嬉しそうに小さくうんと頷くと、歩き出そうとし、不意に立ち止まった。
 ――見つけた。あの者がこの地に……
「えっ…………」
「どうした、理恵」
 龍は急に立ち止まった白神を訝しげな目で様子を見つつ、声をかける。だが、反応は全くない。
「来る……」
「どうしたんだ、理恵!」
 大きな声を立てたせいで辺りの人間がこちらを一斉に向くが、気にすることなく龍は気の籠もった視線を投げかける。
「あ…………」
 急激に目の色が光を失っていく。前にもこのような事があった。
「まさか、呑まれかけているのか」
 龍は両手を白神の体を抱き上げると、急いでその場を立ち去る。人混みをかき分け、人気のない場所で白神を横たえる。
「何があったんだ」
 と同時に龍は自らの目を疑うように瞳を大きく見開いた。そこにいたのはまるで、
「鬼みたいな。いや、鬼そのものか」
 禍々しい形相の人影に龍は警戒心を最大限まで引き上げる。膠着した状態に背中にいやな汗が止めどなく流れていく。
「何者だ。何故貴様のようなものがここにいる」
 相手を睨み、白神を庇うように立ち上がる龍。黒竜の牙がない今、戦えばただでは済まないだろう。
 ――逃がしはしない
 急に心の中におぞましい声が響き、龍ははっとなる。目の前から鬼の姿は消えていた。白神が起き上がり捨てられた子犬のように震えている。
 龍はそっと白神を守るように手をぎゅっと握りしめ、怯える彼女を宥めるしか出来なかった。


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